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時間の感覚の違い-「点」でとらえる日本人と「線」でとらえるインド人・インドネシア人

いつも不思議に思うことがありました。

ツアー中に集合する時、時間だけ言って

「時間厳守でお願いします」みたいなことを何も言わないと、

インド人もインドネシア人も必ず遅れてきます。

(外国人は概ねそういう傾向があるかと思いますが、ここでは私がよく接するインドとインドネシアの方の話をします。)



それで、

「明日からは時間通りにお願いします」

というと、決まって、

「集合時間を早めにしてほしい」

と言われます。それで例えば、

「朝8時から8時半」

つまり

「集合時間は8時で出発は8時半」

という感じにしたい、と言われるわけです。



そうすると当然、中には8時あるいはその前に既にロビーにいる人もいます。

一方遅れてくる人もいます。

が、30分の幅があるので、出発時間には揃って出発することができます。


時間の感覚_3 
インド・ジャイプールの天文台「ジャンタル・マンタル」にある日時計



この「集合時間の幅」はなんなのか?

これは日本人にとってはとても不思議な感覚ではないでしょうか



もう一つ例を挙げると、以前インドネシアのマナドという町に住んでいた時、

インドネシア人と待ち合わせをしたら「1時間」遅れてきました。

その頃既に私は何年かインドネシアに住んでいたものの、まだ修行が足りなかったのか(笑)、日本人として

1時間の遅刻

は許しがたいものに思えました。

それで、怒って出かける約束を断ってしまいました。



すると、次の機会に今度は「1時間前に」来ました(笑)。

まだシャワーも浴びていなくて、全く準備ができていませんでした。

でも、何も文句を言わず、話をしながら私が準備するのを待ってくれました。



その時私は、自分が「なんて心が狭いんだ」と思いました。

インドネシア人は、遅れてくる代わりに、人が遅れても怒らず待ってくれるのです。

日本人は「怒って」しまいます。

でも、私はインドネシアに住んでいた計7年間の間、

「怒られた」

ということはたぶん一度もありません。

ですので、それ以来私も「怒る」ことはしないようにしています。


時間の感覚_2 
年中暑いインドネシアでは時間の感覚がなくなります。


話を戻します。

日本人としては、「時間通り」と言われたら、

「時間通りに集まるだけ」

ではないでしょうか?

実際、日本人のツアーに参加すると、出発の15分ぐらい前からもうドンドンバスに乗り始めて、5分前に行っても最後ということが結構あります。

日本人にとっては、

「時間通りに集まる」

というのは、そんなに苦になることではないと思います。
(相対的な問題ではありますが)

少なくとも、「30分前に集合時間を設定しないと集まらない」ということは聞いたことがありません。



しかし、インド人もインドネシア人も

「1時00分ちょうど」

というような設定の仕方を嫌がるのです。

あるいは、口にしなくても「ちょうど」には集まりません。

必ずバラバラと集まるのです。


時間の感覚_4 
エア・インディアはたまに「時間より早く」出発します!


この違いはなんでしょうか?

ずっと私は考えました。



それで思ったのは、

「日本人は時間を『点』でとらえている」

のに対し、インド人やインドネシア人は、

「時間を『線』(あるいは『面』?でとらえている」

のではないか、ということです。



つまり、日本人は小さいころから

「集合時間の5分前に集まっておくこと!」

という厳しい教育を受け続け、

集合時間が1時ならそれまでの時間を

「分刻み」で計算して、

「段取りを考えて集合5分前には集合場所に行けるように準備する」

という訓練を受け続けていると思います。



それに対して、インドネシアではもともと

「jam karet (=ジャム・カレット:ゴムの時間)」

というぐらいですから、時間を「点」ではとらえていません。

 ※「ゴムの時間」については別の記事を載せています。
 「ゴムの時間」と「金の時間」



また、インドで使われるヒンディー語では、

「昨日」

「明日」

にあたる単語が

「kal(カル)」

1つの同じ言葉です。

文脈でどちらなのか判断するそうです。




このいずれの感覚も、日本人とは違うと思います。

日本では「時間は伸びない」し、

「昨日」と「明日」が同じ単語

ということはあり得ないというか、概念としてないのではないかと思います。



つまり、インドでもインドネシアでも、時間を「点」ではなく、もっと長い例えるなら

「線」

あるいは

「面」

のような感じでとらえているのではないかな、と思います。



そう考えると、つじつまが合う気がします。

つまり、彼らにとって

「1時」

というのは、

「針のない時計の1時ぐらいの方向」

という感じの捉え方ではないでしょうか。


時間の感覚_1 
ジャカルタの信号機の待ち時間表示


それでも今は時計がデジタル表示になっているので、昔よりはかなり時間の捉え方の幅が狭くなっていると想像しますが、昔はたぶんもっともっと時間の幅が長かったのではないでしょうか?


とすると、ふと

「なぜ日本人はそんなに時間に正確なのが習慣になったのか?」

と思いましたが、それはまた改めて考えてみたいと思います。




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プロフィール

英語通訳案内士・篠山美智子

Author:英語通訳案内士・篠山美智子
英語通訳案内士。オーストラリア留学後、前職(日本語教育関係)でインドネシアとマレーシアに計8年滞在。2009年より通訳案内士専業。日本及び海外旅行会社の団体ツアー、個人旅行客(FIT)、企業のインセンティブ・ツアー、政府関係のプロジェクト等に就業。北海道から九州まで日本全国を周る。

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